Nursing Tourism
ー 看護のこころに触れる旅 ー

循環 未来への再生

目の前にある生命と向き合う看護。

その歴史は戦争など大きな災いを乗り越えることで発展してきました。

激しい地上戦の舞台となった沖縄。

悲惨な歴史を忘れさせるほどの美しい島で、大切に育まれてきた看護の物語がありました。

‘看護の視点’で歴史を学び平和を考える新しい沖縄の観光プログラム

Nursing Tourismでご案内する南部戦跡の一部をご紹介します。

沖縄戦-記憶の継承

悲しみの歴史を物語る 美しい南の島

1941年 日本とアメリカは広大な太平洋上で激しい戦闘を繰り広げていました。

当初攻勢だった日本軍はミッドウェー海戦の敗北を境に徐々に後退し、南太平洋の島々にある基地が次々と米軍に奪われていきます。

そのため、日本軍は「本土防衛」の拠点を沖縄とし、1944年3月南西諸島に沖縄防衛のための沖縄守備隊(第32軍)を創設しました。

一方、太平洋の島々を奪った米軍は日本「本土攻撃」の拠点を沖縄に定め、1944年10月10日沖縄本島に大規模な空襲を行なったのです。


南西諸島の攻防で劣勢に立たされた日本軍は、米軍をできるだけ長く沖縄に留めるために徹底的な持久作戦をとります。

これは本土決戦の準備をするための時間稼ぎでもあったとも言われています。
01米軍上陸地点を望む(慶良間諸島方面)
01米軍上陸地点を望む(読谷村方面)
02第32軍司令部壕(首里城下の司令部壕)
02第32軍司令部壕(首里からの撤退)
03南風原陸軍病院(第20号壕)
03南風原陸軍病院(飯上げの道)
04轟の壕(沖縄県庁最後の地)
04轟の壕(軍民共存する悲劇の壕)
05陸軍病院第二外科壕
05陸軍病院第二外科壕(決死の伝令)
06陸軍病院第三外科壕(ひめゆりの塔)
06陸軍病院第三外科壕(ひめゆり平和祈念資料館)
07二人の島守(しまもり)
07島田叡・荒井退蔵
08戦いの終焉地(黎明の塔)
08戦いの終焉地(第32軍司令部壕)
09平和祈念公園・平和祈念資料館
10平和の礎
11平和の火
12平和への夜明け(摩文仁の朝日)
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