自らの手と目で感じとる
癒しの本質

世界の看護の礎を築いた 
フローレンス・ナイチンゲール

1854年のクリミア戦争に看護婦として戦地に赴き、敵味方の区別なく傷ついた戦士たちを看護する姿から「クリミアの天使」や「ランプの貴婦人」として世界中で親しまれています。
ナイチンゲールは優しさだけでなく強さとたくましさ、鋭さと厳しさをあわせ持ち、才能と情熱にあふれる先進的な女性でした。

母なる看護が生まれた島 沖縄

1945年に起こった沖縄戦、辛く悲しい戦争の経験を乗り越えてきたこの美しい南の島にも、優しさと強い心で育まれたナイチンゲールの物語がありました。

戦争のない平和な世界を実現するためには、歴史に学び、先人たちの想いに寄り添い、慈しみの愛で人間の生命と尊厳を尊重する「看護のこころ」を見つめ直すことが、これからの時代に求められる`癒しの本質‘であると私たちは考えます。

Okinawan Nightingale

看護の再建に生涯を捧げた
沖縄ナイチンゲール

1985年5月 赤十字国際委員会(ICRC)より、顕著な功績を残した看護師に与えられる世界最高の栄誉「フローレンス・ナイチンゲール記章」を、沖縄県出身者としてはじめて授与された女性がいました。

眞玉橋ノブ

1945年の沖縄戦では、ひめゆり女学徒隊を率いる看護婦長として、傷病者看護に不眠不休で献身、激しい戦渦を冷静沈着に行動しみなを励まし続けました。

戦後復興の道のりにおいては、類まれな博愛と献身の精神で、沖縄と近代看護の再建に尽力し、その発展に生涯を捧げました。

慈愛に満ちたノブの足跡と功績をMother Nurse(母なる看護)の言葉に託し、永遠に世界に伝えていくことが私たちの使命です。

Biography
1918年 沖縄県首里市に生まれる(11月21日)
1935年 沖縄県立第一高等女学校を卒業
日本赤十字社沖縄県支部救護看護婦養成所に入所
1939年 救護班要員として招集され、小倉陸軍病院に勤務
1945年 沖縄陸軍病院第二外科婦長として、
ひめゆり学徒とともに沖縄戦に従軍
1946年 コザ孤児院を経て、沖縄中央病院看護婦長
1951年 沖縄群島看護婦協会(現沖縄県看護協会)設立 初代会長
1952年 琉球政府厚生局医政課看護係長
1966年 琉球政府立中部病院看護婦長
1972年 琉球大学附属病院総看護婦長
1980年 那覇市立病院初代看護婦長
1985年 那覇市立病院退職
第30回「フローレンス・ナイチンゲール記章」受賞
2004年 永眠(1月31日)
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