Ⅱ. 従軍看護婦として 沖縄戦を戦う① 
1944年10月10日 突如米軍は那覇の街を6度にわたり空襲しました。十十空襲です。この空襲で那覇市開南にあった沖縄陸軍病院施設は焼失し、南風原国民学校の校舎に移転することとなりました。さらに校舎の裏山一帯(黄金森:くがにもり)に約30の横穴壕が掘られ、米軍の艦砲射撃がはじまる1945年3月下旬には病院機能は各壕内へと移されました。時を同じくして、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部に「ひめゆり学徒隊」が編成され、3月24日、ついに彼女たちは軍隊の看護補助要員として南風原の陸軍病院に動員されました。そして教え子たちの後を追うように、ノブも自ら志願し沖縄陸軍病院の第二外科婦長として戦地へ赴くことになるのです。

4月1日ついに米軍が沖縄本島への上陸を開始しました。激しい地上戦で日増しに激増する傷病者の数はとても壕内に収容しきれず、壕の入口まで並べられた傷病者の救護に、ノブや女学徒たちは自らの命の危険も顧みず約3000人余の傷病者の救護看護に献身しました。病院とは名ばかりの十分な灯りも滅菌器具もない壕内は、ウジやシラミなど、むせかえるような息吹とウミの悪臭に満ち、戸板を並べただけの二段病床には重症患者が重ねられ、まさにこの世の生き地獄のような状況でした。そのような状況下において不眠不休で7つの壕を駆け廻るノブの姿に、いつしか傷病兵たちは「眞玉橋先生はいつきてくれるのか」と慈母のごとく待ち焦がれ慕いました。また壕内の仮眠所では一度も休む姿をみたことがないなど、その生命力と使命感の強さに誰もが勇気づけられました。

看護婦長として常に沖縄戦の最前線で負傷兵たちを手厚く看護するノブの姿は、女学徒や部下の看護婦たち医師を常に励まし、赤十字精神に持ちあふれる崇高な姿に、負傷兵たちも畏敬の念でいっぱいでした。
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